このページの本文へ移動
ページの先頭です
以下、ナビゲーションになります
以下、本文になります

教員コラム(横山 勝彦)

2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けたスポーツ政策

横山 勝彦 横山 勝彦 教授

<オリンピック・レガシー>
 2020年東京オリンピック・パラリンピックは、少し大げさかもしれませんが、日本にとって第2の開国とも言える契機と考えられます。しかし、スポーツ振興を考える時、その政策資源の配分で常に悩ましいのは、トップスポーツの強化と一般スポーツの拡大のバランスです。国民へのスポーツ文化の恩恵を、いわゆるシャワー効果で及ぼすのか、噴水効果で積み上げるのか、というトレードオフが生まれます。ここに、スポーツ政策を議論する重要性があります。
 オリンピックの意義は、IOCのオリンピック憲章では、オリンピック競技大会の良い遺産を、開催国と開催都市に残すことを推進することとしています。そして、2012年から開催都市にオリンピック・レガシーの提示が義務付けられました。それには、スポーツ・社会・環境・都市・経済という5つの分野と、それぞれの有形・無形、ポジティブ・ネガティブ、計画的・偶発的なものが存在しています。
 1964年型レガシーは、主に戦後復興・高度経済成長などを政策の背景とする東海道新幹線、首都高速道路といったハード面の社会基盤の整備でした。2020年型レガシー創出にあたっては、様々な政策目標を一過性のビッグイベントとしての2020年に置くのではなく、さらなる高齢化・人口減少など多くの課題が見込まれるポスト2020の社会を見据えた、経済発展を遂げた国のその後の進むべき方向と価値観を世界に示す成熟国家としての施策展開が望まれます。

<ソフトレガシー>
 つまり、スポーツが有する、心理的・感覚的な価値である感動の経験価値創造というソフトレガシーです。トップアスリートの思考力、判断力、目標達成力、自己管理力、コミュニケーション力、洞察力といった類い稀なる能力や経験は、その価値を生みます。また、スポーツの活動は、選挙への投票行動、ボランティアやNPO活動といった市民活動への参加、自治会や町内会活動への参加などの社会関係資本と健康を引き上げ、その中でも観戦型スポーツ・レクリエーション型スポーツは所得面、友人関係面及び地域関係面に直接的影響を与え、幸福度を増大することが明らかにされています。
 この人材育成・人的交流を核とするソフトレガシーの推進政策の実施は、経済における、製品やサービスそのものの持つ物質的・金銭的な価値だけではなく、その利用経験を通じて得られる効果や感動、満足感といった経験価値の重要性の高まりの動向と、インクルージョン社会の構築が希求される時代の動向にも結び付きます。

<スポーツ施設>
 そして、このようなソフトレガシーを実現するには、当然ながら場が必要です。それがスポーツ施設です。スポーツ施設に対する基本的な考え方は、スポーツ施設を地域の生産力向上や雇用拡大などに及ぼすフロー効果とスポーツを実施したり観戦する地域住民の喜びや結束力の高まりといったストック効果を評価する、地域活性化のランドマークと位置付けることです。従来のスポーツ施設に対する概念を払拭し、地域住民が集う場となるようなハード面と人々の細かなニーズに対応可能なソフト面を兼備し、そのための独立採算可能な運営・管理制度を整えた地域コミュニティの経済的・社会的発展という共通価値の創出の場としてのスポーツ施設という考え方です。
 では、その運営方法をどうするかということですが、厳しい財政状況のもと、公的資金によるスポーツ環境の整備のみならず、PFI、コンセッション方式、指定管理者制度、ネーミングライツといった官民連携によるスポーツ施設のマネジメントの積極的な採用が必要かと思います。
 その時の前提となるポイントがあります。それは、スポーツ施設に関わる組織と市民というステークホルダー間の双方向性と対称性を持つコミュニケーションを高め、協働意識を醸成するレピュテーション・マネジメントによる行政広報の展開です。
 このように、スポーツ施設については、人的交流・人材育成の場としてスポーツ施設を位置付け、消費的・浪費的なスポーツ活動の場ではなく、まちづくりの核となる創造的・投資的な施策展開を担保する、先を見越したグランドデザインの策定が望まれます。

<スポーツ政策のマネジメントプロセス>
 そもそもスポーツは公共財であり、その価値を国民に供給することがスポーツ政策の本来の意義です。そして、政策を考える大前提は、資本主義が私有財産を法で保証し、自由競争で富を生み出すもので、人々のやる気や創意工夫が繁栄につながることを想定したもの、それには企業や政府のみならず、あらゆるレベルの社会や個人が主体性を発揮し、新しい考え方や価値観を生み出す必要性があること、そして、政策は誰でも考え、発信することが可能なものと捉えることが民主主義の充実に不可欠であること、と理解することです。なお、ここで注意しなければならないことは、IT化の進展によりノードが個人化したため、主観的感覚による主張を無秩序に発信する傾向にあることです。これは、政策展開の混沌化を招きます。ここに注意した上での発信ということです。
 すなわち、スポーツ政策には、制度・組織・個人間の理念の相互浸透によって生み出される創造的な政策形成のサイクルが重要です。
 最後に、文化や制度が創り上げられたり、維持されていくプロセスは、実は文化に関するヘゲモニーをめぐる闘争の場、あるいは文化面での革命の場と言われます。今後の日本社会の方向性を見定めるスポーツ政策となるためには、文化の創設や維持というものが文化支配と制度支配をめぐるヘゲモニー闘争の場とおさえるべきです。この際に、ポイントとなるのが理念であり、この理念闘争が必要になるとの理解です。理念は共感を生み、それは信頼をもたらし、結果人々の協調行動になるのです。

教員コラム(高木 俊)  
教員コラム(石井 好二郎)  
教員コラム(井澤 鉄也)  
教員コラム(横山 勝彦)  
教員コラム(松倉 啓太)  
教員コラム(庄子 博人)  
教員コラム(藤澤 義彦)  
教員コラム(田附 俊一)  
教員コラム(渡邉 彰)  
教員コラム(福岡 義之)  
教員コラム(高倉 久志)  
教員コラム(上林 清孝)  
教員コラム(若原 卓)  
教員コラム(海老根 直之)  
教員コラム(中村 康雄)  
教員コラム(二宮 浩彰)  
教員コラム(北條 達也)  
教員コラム(竹田 正樹)  
教員コラム(石倉 忠夫)  
教員コラム(栁田 昌彦)