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学部長からのメッセージ

スポーツ健康科学という学問とは? 同志社大学で学ぶ意義

竹田学部長 スポーツ健康科学部長 竹田 正樹

 歴史上,人類の発展のために様々な学問分野が,途方もないほど長い年月をかけて,ありとあらゆる分野に渡って,きめ細かく,深い発展を成し遂げてきました.その結果,我々の複雑な人間社会において,豊かな文明を築きあげ,多くの幸福がもたらされてきたと言えるでしょう.地球規模の自然の中で,多様な民族がお互い平和を保ちながら生きてゆくためには,倫理,秩序,安全,健康,そして同志社大学の教育の根幹をなす「良心=キリスト教主義に基づく」が大事であり,そのためには人文社会科学や自然科学の様々な学問の発展,そして「多様な学びの場」は欠かすことができません.それ故,大学においては様々な学問分野が存在します.その中で私が所属している同志社大学スポーツ健康科学部は社会にどのように貢献できるのでしょうか?

 スポーツは一見無駄なもの,無意味なもの,生産性のないもの,人の生活と直接的に関わりをもたないもの,などと捉えられがちです.果たして本当にそうなのでしょうか?
 人類がここまで発展してきたのは,様々な外部環境に対して生物学的に,そして社会学的に適応してきた結果です.我々人類は適応することで生き延び,より良い,豊かな,そして高度な社会を形成してきました.適応するためには外部環境(の変化)に対して,適切に対応する必要があります.適応は,欲求,調節,変容の3段階を経て成し遂げられます.広辞苑によれば,「適応とは1)その状況によくかなうこと,ふさわしいこと,あてはまること,であり,2)生物の形態,習性などの形質が,その環境で生活・繁殖するのに適合していること,あるいはそう判断できること.現存の生物の形質の多くは適応的であるが,そのすべてが適応しているとは限らない.適応とは主に遺伝的な変化についていうが,そうでないものがあり,狭義には後者を順応と呼ぶ.」とあります.最初に,人はよりよく生きようとする欲求が必要であり,そのために生物学的機能を調節して,長い年月をかけて(本質的には遺伝的変化を伴って)変容してゆく過程を伴います.人は社会生活を営むことを余儀なくされている以上,個で生きてゆくことは難しいのが一般的です.集団内でどのように秩序を保つのかという社会的問題も常に問われることになります.従って適応には生物学適応以外に社会的適応も含まれます.これは人間(生物は皆同じといった方が良いかもしれません)が生きることの基本なのかもしれません.進化論はまさにそのことを証明しているといえるでしょう.

 スポーツは生きるために必ず必要なものであるとまでは言えないかもしれません(私は個人的に必須と言っても過言ではないくらいの価値を有していると信じていますが).しかし,「人がスポーツをするときの根本的な考え方は,遺伝子学や進化論を含めた生物の生存の過程と同じではないか」と思っています.「人はなぜスポーツをするのか」という問いは昔から投げかけられてきた課題ですが,その根本には人間のより良く生きようとする本性とも言うべき「欲求」がある(だろう)からです.我々は競技スポーツであれ,健康運動であれ,全てのスポーツ活動において,「こういう姿でありたい」という自己実現欲求があると思います.その「欲求」があるからこそ,実現のためには「どのようにしたら,どのような状態であれば,それが成し遂げられるのか」を自らに問うこととなり,「調節」という過程を経て,「変容(成長)」を成し遂げることが可能になります.この適応過程そのものを人文社会科学的及び自然科学的に探究する学問が,まさにスポーツ健康科学なのです.何事も基本は大事です.大袈裟な言い方かもしれませんが,スポーツ健康科学は「生きるための基本」を学ぶ学問であると信じています.

 同志社大学は殊にリベラルな大学(自由主義)であり,学生の皆さんが求める価値観を尊重し,自由に学習・行動できる環境を可能な限り整えています.この優れた教育環境を大いに活用して,同志社大学の良心教育である「良心を手腕に知識、能力を運用し、社会(国際的にも=国際主義)に貢献する人物」を目指して大いに自己研鑽に励んで頂きたいと願っています.