教員コラム(河西 正博)
パラリンピックと「儀礼的関心」
1 パラリンピックに対する認知と社会的インパクト
多くのみなさんが「パラリンピック」という言葉はご存じだと思います。日本財団パラリンピック研究会(2022)の調査によれば、97.9%の人々が「パラリンピック」を知っていると回答している一方で、同調査のパラリンピックの参加対象障害の回答を見ていくと、誤答が目立つなど、パラリンピックの具体的な認知は必ずしも進んでいないと考えられます。
日本では過去3回(1964年東京大会・1998年長野大会・2021年東京大会)のパラリンピックが開催されましたが、これらはどのような社会的インパクトを与えたのでしょうか。渡(2007)は、1964年の東京パラリンピック開催は「障害者」を社会的に認知させる機会になった一方で、健常者社会との接点は希薄で、社会の障害者への態度は「儀礼的無関心(その存在を認識してはいるが注意を向けず無関心を装うこと)」であったと述べています。また、1998年の長野パラリンピックは、障害者スポーツの「スポーツ化」が進展する契機になったとされており、アスリートの競技性に傾注することで、「障害者/健常者」の二項対立は温存されたまま「儀礼的関心(障害者や福祉に注意を払っている、理解していると錯認すること)」を喚起したと述べられています。では、2021年に開催された東京パラリンピックは果たして「儀礼的関心」を乗り越える契機となったのでしょうか。以下ではメディアと選手認知度の関係性から、パラリンピックへの関心のあり方について考えていきたいと思います。
2 「儀礼的関心」から「本質的関心」へ
ヤマハ発動機スポーツ振興財団のパラリンピックテレビ放送量ならびにパラリンピアン認知度調査によれば、東京パラリンピックの放送時間は2008年の北京大会の約4倍となっており、メディア露出は増加していますが、選手認知度についてみていくと、国枝慎吾選手(車いすテニス)が45.2%と突出している一方で、それ以下の選手は非常に低い認知となっており、全体的な認知は十分に高まっているとはいえません。また、パラリンピック競技の認知度に関して、各種調査を参照すると、車いすテニスや車いすバスケットボール等、近年のパラリンピックで高い競技成績を上げている競技の認知度は高まってきていますが、競技間の認知の格差は依然として存在しています。国枝選手は昨年引退した際に、記者会見で「車いすテニスを『福祉的なもの』ではなく『スポーツ』として扱われたいと思ってプレーしてきた」と述べており、まさに「儀礼的関心」を乗り越えるべくプレーをしてきたのではないでしょうか。
以上のように、未だ「儀礼的関心」範疇にあるともいえるパラリンピック(障害者スポーツ)ですが、いかにして「本質的関心」へと変化させていけるのでしょうか。ここでカギとなるのが「直接的」「主体的」な経験です。メディアを通じた間接的な視聴のみでは十分な意識変化、関心の喚起はできず、競技体験やボランティア参加、関連する学習経験が重要であると考えられます。車いすバスケットボールは6年前から、車椅子ソフトボール(非パラ競技)、車椅子ハンドボール(非パラ競技)は競技開始当初から、国内大会において健常者の出場が正式に認められており、大学生を中心に競技者が増加してきています。また、ボッチャは障害の有無に関わらず子どもから高齢者まで、地域レベルでの活動が活発化してきています。非常に地道な取り組みとなりますが、各競技の直接的な体験をすることで、障害者スポーツに対する関心が高まっていくのではないでしょうか。
また、東京オリンピック・パラリンピックの開催と連動する形で、学習指導要領が改定され、小学校では2020年度から、中学校では2021年度から「オリ・パラ教育」の実施が義務付けられました。これらの学習効果については今後、検証していかなければなりませんが、子どもたちが幼少期からパラリンピック、障害者スポーツに触れることで、その後の態度や行動に変化が生じていくものと考えられます。
本コラムを一読いただいたみなさんは、どれだけパラリンピック・障害者スポーツについてご存じでしょうか。各々、イメージをしていただく、関心を持たれた方は関連する情報にふれていただく、そのような機会になれば幸いです。